銀座で人と会う<銀座デジカメ散歩・番外編6>

街に出る目的のひとつに「人と会う」というのがある。



仕事の打ち合わせなら喫茶店やホテルのロビーなど。何かのお祝いのパーティ、法事など人数の多いときはホテルの「パーティ会場」や「会館」。

ちなみに「会館」はもともとはどこかの大学や組織がつくったもので、それを一般にも開放したもの。「如水(じょすい)会館」は一橋大学の、「九段会館」は昔は「軍人会館」。有楽町には一般のパーティ、授賞式などでも使われる「東京会館」がある。

37e3808047553cedb34daa9b1d7ab2a3-225x300これらはオフィシャルに人が集う場合の場所だが、プライベートで個人的に人の集う場所として、銀座には1883年(明治13年)に福沢諭吉が提唱した「交詢社(こうじゅんしゃ)」という日本最初の、「社交クラブ」がある。銀座6丁目に今も外観が残され、その内装もほぼ当時のまま、「交詢ビルディング」の9階に移されている。倶楽部員の資格は、当時は慶応義塾出身者が中心だったが、今は会員の推薦があれば誰でも会員になれる。

「倶楽部」は、自分が所属する会社や組織などを離れてオフタイムの時、別の職種の人と親交を結ぶための場所である。財界人、政治家、学者、芸術家、技術者がそこで出会えば、各々が違う新しい発想を得ることができる。

「倫敦(ロンドン)の倶楽部」が出てくる小説で、映画にもなった「80日間世界一周」はフランスの作家ジュール・ベルヌの作品。冒頭は倶楽部員たちの「賭け」のシーンだった。旅客機のなかった当時「もし80日間で世界一周できたら賞金を出そう」。ほかにも、シャーロック・ホームズの兄のマイクロフトが、倶楽部へ行くという描写が出てくる。

現代の、ネオンの灯る「クラブ」というのも、もともとはこの「社交クラブ」が源(みなもと)なのだろう。

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