銀座の地図を眺めながら、銀座の地理のことを考えた。
「銀座は水の街だ」なんていうと、「水辺」なんてないじゃないかと突っ込まれそうだ。でも、地図で銀座を見てみると、まわりが「橋」で囲まれていることが分かる。「数寄屋橋」「新橋」「三原橋」「京橋」他にもまだまだ「橋」がある。橋があるということは、その下に「川」が流れていたということです。
銀座は、徳川家康が関ヶ原の戦いの後、江戸に幕府を開くにあたり、街の発展を考えて、江戸湾の入り江を埋め立てて人工の島を造ったのが始まりだそうだ。銀座4丁目交差点に「海抜」表示のプレートがあるが、それによると「海抜3、7メートル」である。(すると地下鉄は海底を走ってる???)
今は高速道路になっている「築地川」は、この埋め立ての時、陸と浜辺の間に残された水路だとか。川は高いところから低い方へ流れるのだから、海と直角に交わるが、築地川は浜辺と平行に流れている。「数寄屋橋」は江戸城の「外堀」に架けられた橋。「外堀」の水はもともとあった小さな川の水を集めたもの。浮世絵師・歌川広重の「名所江戸百景」には、水辺が多く描かれている。
その昔、川は都市の交通と衛生を担っていた。
江戸城を増築するとき、石垣は日本中から集められた。その運搬は船であったことだろう。江戸時代、水路は物流の要だったようだ。
そして19世紀のパリと江戸の大きな違いは「衛生」だったそうだ。細い水路が完備していなかった19世紀のパリは、かなり「臭ったとか」だから「香水」が発展したのだとか(?)。
さらに地図を眺めてみる。銀座の街は1丁目から8丁目までが、碁盤の目(方形のブロック)のように出来ている。規模は違うけど同じようなのは京都の街。ここはもともと平安京の跡で、「遷都」により計画的に造られたから、整然としている。名古屋の市街地も、戦災の復興都市計画で区画整理されたからだった。
埋めててで出来た銀座も整然とした町並みだ。銀座4丁目の交差点に立って、昼頃の太陽を見上げる。銀座通りだと、京橋を背にして新橋の方は、ほぼ南西の方角。通りにまっすぐ光が通るのは、服部時計店の時計塔によると14時10分くらい。銀座にある三本の大通り、西銀座通り、銀座(中央)通り、昭和通りは、太陽が一番高い位置にある時、その光の恵みを浴びるという事になる。
銀座の南西の方角とは、ちょうど富士山がある方だ。もしかすると江戸時代は銀座通りの先に富士山が見えたのではないか(?)。後ろを向く。南西の反対の北東の方角。そこには「東京スカイツリー」がある。「三吉橋」の歩道橋からビルの間に見ることができる。