【取材レポート】近代アートを育んだカフェ文化をひも解く。「“カフェ”に集う芸術家―印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」が三菱一号館美術館で開催

トップビジュアル:ラモン・カザス《マドレーヌ》1892年、ムンサラット美術館(J. Sala Ardiz寄贈)

 

19世紀後半以降、パリに数多く誕生した“カフェ”。それは、単に飲食や会話を楽しむ場ではなく、従来のサロン(官展)からの脱却を目指す芸術家や批評家たちが、身分や国籍、ジャンルを超えて新たな芸術の在り方を議論し、創造のインスピレーションを得る社交場でした。

「絶えず意見がぶつかり合い、その刺激によって精神は常に研ぎ澄まされました。私たちは利害から離れた誠実な探究へと励まされ、そこで得た熱意は何週間ものあいだ私たちを支え、一つの考えが明確な形をとるまで続いたのです」
――たとえば、後年のクロード・モネがこのように回顧したのは、モンマルトルの〈カフェ・ゲルボワ〉での日々です。同店は若きモネが慕ったエドゥアール・マネをはじめ、オーギュスト・ルノワールやエドガー・ドガらが集い、のちに印象派展を立ち上げるきっかけを作ったことで知られています。

東京・丸の内の三菱一号館美術館では、そうした近代美術の揺籃場ともいうべき19世紀後半から20世紀初頭のカフェが、芸術にもたらしたものを振り返る展覧会「“カフェ”に集う芸術家―印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」が開催中です。会期は2026年9月23日(水・祝)まで。

 


 

展示風景

 

本展は三菱一号館美術館とひろしま美術館の共同企画。両館のコレクションを中心とした作品約130点を3章構成で紹介しています。
※一部作品は前期(6月13日~8月2日)と後期(8月4日~9月23日)で展示替えがあります。詳細は公式サイトの展示作品リストでご確認ください。

なお、本展における“カフェ”とは、現代の私たちがイメージする日常的なくつろぎの場としてのカフェにとどまりません。飲食に加えて、演者による音楽や歌のパフォーマンスが披露されるカフェ゠コンセール。主にパリ郊外や川沿いにあり、ダンスが踊れる大衆酒場ガンゲット。そしてカフェ゠コンセールよりも小規模で、即興の詩の朗読や演劇、影絵芝居などの芸術活動が展開されるキャバレーなど、当時の最先端のカルチャーが詰まった広義の文化的空間を指しています。

 

第1章「カフェを描く──レアリスムから印象派へ」

 

第1章では、近代都市へと変貌したパリがもたらした、近代絵画の新たな主題に注目しています。

 

オーギュスト・ルノワール《パリ、トリニテ広場》1875年頃、ひろしま美術館

 

19世紀後半、ナポレオン3世の命令により大規模な都市改革が行われたパリ。当時、美術界の権威であった公式のサロン(官展)以外に作品を発表する場はほとんどなく、サロンに認められることが画家として成功するための王道でした。必然的に画壇の主流は、サロンが高く評価するルネサンス以来のアカデミックな様式にのっとった宗教画や、古典に基づく物語画になります。この状況に一石を投じたのが、詩人で美術批評家のシャルル・ボードレールです。

ボードレールは1863年に発表した美術評論『現代生活の画家』において、過去の理想を模倣するのではなく、変化し続ける「現在」に見いだせる美の特質、すなわち「現代性」を芸術として表現することが、近代芸術家の役割であると説きました。その理念に呼応するように、〈カフェ・ゲルボワ〉に集ったマネや印象派の画家たちは、身の回りで営まれる日常そのものに新たな主題を見いだしていきます。

流行の装いに身を包んだ市民が行き交う大通り、鉄道網の発達や産業化によって花開いた余暇文化を象徴する郊外のレジャー、そしてもちろん、クリエイティブな熱気に満ちたカフェなどは、その代表的な例です。

 

ベルト・モリゾ《黒いドレスの女性(観劇の前)》1875年、国立西洋美術館

カミーユ・ピサロ《ポン゠ヌフ》1902年、ひろしま美術館

 

とりわけドガは、1871年頃から劇場を主題とし、その踊り子像はジャン゠ルイ・フォランやガストン・ラ・トゥーシュをはじめとする後続の画家たちに多大な影響を与えています。また、舞台袖や稽古場で踊り子を見つめるシルクハット姿の男性(劇場を支えた裕福なパトロンや常連客)たちを繰り返し描き、フォランらもこれを受け継いだことで、華やかな舞台の裏側にある劇場社会の人間模様を象徴するイメージとして定着していきました。

 

エドガー・ドガ《赤い服の踊り子》1897年頃、ひろしま美術館

 

《赤い服の踊り子》(c.1897)は、踊り子が身だしなみを整える何気ない一瞬の仕草を捉えた作品。実家近くにあった旧オペラ座でバレエに親しみ、知人や友人の伝手で楽屋裏の世界にも通じていたドガらしい視線といえます。

 

ジャン゠ルイ・フォラン《舞台裏──青のシンフォニー》1900-23年頃、公益財団法人大原芸術財団 大原美術館

 

同章では、印象派に先立ってカフェや劇場の内部風景を描いた、レアリスムの画家・版画家であるオノレ・ドーミエやポール・ガヴァルニの作品も並んでいます。彼らにとって、富裕層や知識人、労働者、娼婦までさまざまな階層の人々が場を共有するカフェは現代社会の縮図であり、観察と批評を試みる格好のモチーフだったのです。活版印刷の発展とリトグラフ技法の普及によって、こうした日常を題材とする戯画は新聞や風刺雑誌を通じて広く流通しました。

 

オノレ・ドーミエ《〈ブラッスリーにて〉2 すさんだ詩人たちの集まる一隅》1863年、市立伊丹ミュージアム、前期展示

 

また、本展の担当学芸員である三菱一号館美術館の岩瀬慧氏は、「今回の展覧会は、風車がひとつのキーワードになっている」と話します。たとえば、1862年にレオン・ジャックがエッチングに残した〈ムーラン・ド・ラ・ガレット〉は、もとはモンマルトルの丘に並ぶ粉挽き用の風車小屋でした。近代化に伴って役割を変化させ、パンと牛乳を販売する休憩所からガンゲットへ、やがて野外ダンスホールに発展したスポットであり、ボードレールの説いた「現代性」を強くまとったモチーフのひとつといえるでしょう。

 

レオン・ジャック《ムーラン・ド・ラ・ガレット(モンマルトル)「『腐食銅版画家協会:近代の腐食銅版画』誌」》1862-67年、町田市立国際版画美術館、前期展示

 

風車がもつ古き良き村落風の雰囲気がノスタルジーを感じさせる一方で、休日には多くの人々が都市部から足を運び、着飾ってダンスを踊るという、まさに近代都市パリの娯楽文化を象徴する場所でもありました。モンマルトルにアトリエを構えたルノワールら多くの巨匠を虜にし、風車の佇まい、室内の喧騒、漂う倦怠感など、それぞれが心惹かれた同地の表情をキャンバスに写し取っています。本展ではジャックのほか、フィンセント・ファン・ゴッホ、ラモン・カザス、モーリス・ユトリロの作品を、章をまたいで紹介しています。

 

第2章に展示、フィンセント・ファン・ゴッホ《モンマルトルの風車》1886年、石橋財団アーティゾン美術館

 

第2章「夜のカフェ──シェレ、ロートレックの世紀末」

 

19世紀後半、大通りとガス灯が整備されたことで一般化したのが夜間の外出です。ナイトライフを楽しむ気風も後押しされ、モンマルトルにはカフェ゠コンセールやキャバレーといった娯楽施設が次々に登場。貴族社会に属していた劇場も大衆化していきます。それぞれの店は客を取り合う形となり、スター歌手や人気の踊り子を売りに客集めをするようになりました。その宣伝のために花開いたポスター芸術に焦点を当てているのが第2章です。

19世紀中頃までのカラーリトグラフは、多色刷りを行うために色ごとの版を用意しなければならず、膨大な手間とコストがかかっていました。このプロセスを大幅に簡素化し、広告芸術の発展に大きく寄与したのがジュール・シェレです。

 

ジュール・シェレ《ムーラン・ルージュの舞踏会》1889年、サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)

 

シェレは、赤・黄・青の3色の色版を巧みに重ね合わせることで、豊かな色調と明暗を表現する技法を確立。手がけたポスターは、宣伝すべき施設や商品そのものを前面にアピールするのではなく、ロココ風の陽気で開放的な女性像(通称「シェレット」)を主役に据えるという斬新なものでした。

夜の街のヘルシーな魅力を押し出したイメージは、瞬く間にパリを席巻。その勢いは「シェレットのいないパリは想像できない」と評されたほどです。このように、シェレはポスターを単なる告知物からモダンアートへと進化させ、芸術と大衆文化の結合点を形成しました。なかでも、1889年に開業し、6,000人もの客を収容できた伝説的キャバレー〈ムーラン・ルージュ(赤い風車)〉の宣伝ポスターは、「夢幻劇(フェアリ)のような美しさ」だと絶賛されます。

 

ジュール・シェレ《「パリ-シカゴ」エッフェル塔劇場》1893年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館(AN.2674)、前期展示

展示風景、右からアルフォンス・ミュシャ《ジスモンダ》1894年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館(AN.3275)、前期展示 / ジョルジュ・デヴァリエール《ミュージック・ホール》1903年、公益社団法人大原芸術財団 大原美術館

 

シェレが切り開いたポスター芸術を、アルフォンス・ミュシャと同時期に新たな高みへと押し上げたのがアンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレックです。ロートレックはキャバレーやカフェ゠コンセールに足しげく通い、スターの振る舞いや夜の街特有の熱気を観察し続けました。そうした没入体験を通じて、理想化された女性像を展開したシェレとは異なり、人物の特徴を美化ではなく誇張して捉え、本質を鋭く描き出すという独自の表現を築き上げました。

 

展示風景、中央はアンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》1891年、三菱一号館美術館

 

《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》(1891)は、ロートレックの記念すべきポスター第1号。〈ムーラン・ルージュ〉の支配人からの依頼品であり、主題は豪快に観客の酒を飲み干すことから「大食らい」の愛称を得たスターダンサーのラ・グーリュです。ダンスパートナーの「骨なしヴァランタン」や観客がシルエットに落とし込まれ、周囲を彩る照明がラ・グーリュの髪と同じ黄色で描かれるという演出からは、まるで彼女自身も輝きの一部であるかのような印象を受けます。

浮世絵を思わせる簡潔な線と大胆な構図で鮮烈な印象を残す本作は、数千枚規模でパリの街頭に貼り出され、歓楽街モンマルトルのイメージを決定づけました。ロートレック自身も、ポスターデザイナーとして一躍名が知れ渡ります。

 

展示風景、右はアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《アリスティド・ブリュアン、彼のキャバレーにて》1893年、三菱一号館美術館

 

ポスター作品ではないものの、ロートレックの展示のなかで特に興味深いのは、〈『ルイ13世風の椅子のリフレイン』(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)〉(1886)です。タクトを振るう歌手アリスティド・ブリュアンの背後にロートレック自身の姿が描き込まれていますが、その隣に立つあご髭を蓄えた男性がゴッホである可能性が指摘されているのです。

 

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《『ルイ13世風の椅子のリフレイン』(アリスティド・ブリュアンのキャバレーにて)》1886年、ひろしま美術館

 

実は、ロートレックとゴッホはフェルナン・コルモンの画塾の同窓生でした。貴族の家に生まれた反動から、奔放で束縛を嫌ったロートレックと、理想や結束を求めた実直なゴッホ。気質も画風も全く異なる二人ながら、どちらもアカデミックな画塾での学びに満足せず、自らの生活と交友関係に密接に結びついた、モンマルトル近郊のカフェで芸術を育んでいきました。もしこの人物が真にゴッホである裏付けが取れれば、本作は二人の関係性を視覚的に伝える重要な作例となるでしょう。

 

展示風景、右はアンリ・ド・トゥールーズ゠ロートレック《コーデュー》1893年、三菱一号館美術館

 

第3章「〈シャ・ノワール〉の登場とその後の展開──パリとバルセロナの往還」

 

第3章でまず着目するのは、1881年にロドルフ・サリスが開業し、詩や音楽、美術、演劇と多岐にわたる芸術の実験場となったことから「パリの頭脳」とも評された前衛的キャバレー〈シャ・ノワール(黒猫)〉です。

 

機関誌『シャ・ノワール』第294・295号、1887年8月27日付、1887年9月3日付

 

店専属の機関誌『シャ・ノワール』の発刊をはじめとする多彩な活動のなかで、大きな話題を呼んだのはアンリ・リヴィエールが手掛けた影絵芝居です。のちの映画やアニメーションの原型といわれ、フェリックス・ヴァロットンをはじめとするナビ派の画家たちも、平面性を強調した影絵芝居からインスピレーションを得ていました。

 

フェリックス・ヴァロットン《大騒ぎ、あるいはカフェの情景》1892年、三菱一号館美術館

 

その熱狂的な人気を受けたサリスは、フランス各地での巡業興行を開始。テオフィル・アレクサンドル・スタンランが手掛けた告知ポスター《シャ・ノワール巡業公演》(1896)に描かれた、不敵に佇む黒猫のイメージは、キャバレーの自由な芸術精神を視覚化し、店そのものを象徴する不朽のアイコンとして定着しました。

 

テオフィル・アレクサンドル・スタンラン《シャ・ノワール巡業公演》1896年、京都工芸繊維大学美術工芸資料館(AN.4829)、前期展示

 

ボヘミアン的なカフェ文化の影響は、鉄道網の整備によりパリと結ばれた、スペインのカタルーニャ州バルセロナにも及びます。カタルーニャ出身の画家ラモン・カザスやサンティアゴ・ルシニョルたちは、1897年に〈シャ・ノワール(黒猫)〉をモデルとした〈クアトラ・ガッツ(四匹の猫)〉をバルセロナ旧市街に開業。カタルーニャの文化と結び付いた新たな芸術の創造を目指す「ムダルニズマ」運動を牽引していきました。

 

ラモン・カザス《アニス・デル・モノ》1898年、国立西洋美術館、前期展示

 

スペイン・ムンサラット美術館から来日したルシニョルによる《カフェ・デ・ザンコエラン》(1889-90)とカザスによる《マドレーヌ》(1892)は、カフェ文化がスペインへと伝播していく様子を示した貴重な作例であり、本章のハイライトです。

 

サンティアゴ・ルシニョル《カフェ・デ・ザンコエラン》1889-90年、ムンサラット美術館(J. Sala Ardiz寄贈)

 

本邦初公開となる《カフェ・デ・ザンコエラン》と同名のカフェは実在したものの、本作はルシニョルが通い詰めたパリのカフェの雰囲気を再構成した、架空の場面を描いたと考えられています。

画面手前にいる山高帽姿のカザスをはじめ、作者の友人たちの肖像を随所に散りばめた構成は、19世紀末パリにおけるカタルーニャの芸術家ネットワークの存在をうかがわせます。同時に、仲間内だけで文脈を共有するお遊びとして作品を成立させる態度は、本作のタイトルにもなった既存の権威やアカデミズムを風刺する「アンコエラン(支離滅裂)」芸術の精神に通じるものがあります。

 

ラモン・カザス《マドレーヌ》1892年、ムンサラット美術館(J. Sala Ardiz寄贈)

 

一方の《マドレーヌ》は、カザスがルシニョルとともに〈ムーラン・ド・ラ・ガレット〉に居室を構えていた時期に描かれた名作。赤いブラウスを纏う女性は、同店に出入りしていたルイーズ・オルタンス・ボアギヨームという実在の人物です。

足先は画面の右へ、上半身はテーブルに傾き、顔は正面を向きながらも目線は画面左へ流れている。この一癖ある体勢が、鑑賞者の視線を画面内に循環させる効果を生んでいます。酒とたばこを嗜みつつ誰かを待っているような仕草は、群衆の中の孤独や疎外感という、近代都市ならではの感性と響き合う主題をも浮かび上がらせています。

 

そして、〈クアトラ・ガッツ〉に集うムダルニズマの芸術家の一人に、若き日のパブロ・ピカソがいました。1900年、ピカソは同店で初の個展を開催したのちにパリへ渡ると、カフェや酒場が彩る夜の文化に触れながら、ドガやルノワール、とりわけロートレックから大きな刺激を受けます。しかし、二都市を往還するなかで直面した極貧生活や親友の自殺という深い喪失体験により、画風は大きく転換。青色を基調に、貧困や社会の周縁に生きる人々の憂鬱や孤独を内省的に描く「青の時代」へと至るのです。

ピカソ作品は撮影禁止のため本レポートでは紹介できませんが、会場ではフレンチ・カンカンの賑やかな踊りを捉えたロートレックの《エグランティーヌ嬢一座》(1896)と、それを再解釈したと思われるピカソの《カンカン》(1900)を併置。さらに、カフェの喧騒から遠く離れた「青の時代」の代表作《酒場の二人の女》(1902)などが並び、若き天才が先人の表現を糧としながら、自らの画風を確立していく歩みを伝えているので、ぜひ現地でご確認ください。

 

展示風景、映像資料

 

作品そのものの魅力だけでなく、教科書では語られにくい近代美術のネットワークや、創造のダイナミズムを“カフェ”という切り口からひも解くというユニークさが魅力の本展。なお、夜間開館日の18~20時限定で、一部展示室内で音楽による特別演出を行うほか、やや大人向けのカフェにまつわる裏話を映像資料とともに紹介しているため、興味のある方はぜひ夜間を狙って足を運んでみてください。芸術家たちが愛した歓楽街の雰囲気を、より鮮明に感じられるはずです。

 

 

「“カフェ”に集う芸術家―印象派からゴッホ、ロートレック、ピカソまで」概要

会期:2026年6月13日(土) – 2026年9月23日(水・祝)
会場:三菱一号館美術館
開館時間:10:00~ 18:00
 ※ただし、祝日を除く金曜日、第2水曜日、7月25日、9月19日~23日は20時まで開館)
 ※入館は閉館時間の30分前まで
休館日:祝日を除く月曜日
 ※ただし、トークフリーデー(7月27日、8月31日)は開館
観覧料金:<当日券>一般2,300円、大学生1,300円、高校生1,000円、中学生以下無料
 ※障害者手帳をお持ちの方は半額、付添の方1名まで無料。
 ※各種割引利用の場合、他の割引との併用不可。
 ※そのほか、詳細は展覧会公式サイトよりご確認ください。
主催:三菱一号館美術館、公益財団法人ひろしま美術館
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイトhttps://mimt.jp/ex_sp/cafe/
国内巡回:ひろしま美術館 2026年10月3日(土)~2027年1月11日(月・祝)

 

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